「ゼロ年代SF傑作選」を読んだ日記
すっかり情緒がなくなっていたと思っていた。しかし宇宙人に脳をいじられたわけではないのだ。残念なことに、頭というやつはそう簡単に仕組みが変わったりはしない。どうしてこういうことを言い始めたのかというと、「ゼロ年代SF傑作選」というアンソロジーに収録されている、桜坂洋の「エキストラ・ラウンド」を何日か前に読んだということを思い出したのだ。この物語は、ネトゲをやっている若者たちの話で、型にはまった言い方をすれば僕にとっての「等身大の話」とかそんなところで、感想はといえば、とにかくグッときた。感想終わり。ここからはどうってことない日記だ。小説の内容と比べたらカニみそと消しゴムのかすくらい差があるどうでもいい話だ。ここ最近、感傷的な気分になることがほとんどゼロと言っていいほどなくなっていた。夏の夜の匂いも一人で食べる夕飯も、別に何ともないただの風景と化していた。読書をしたり映画を観たりするときもナイーブな物語を欲しなくなっていった。もっぱらエンターテイメントに特化したコンテンツばかり摂取していた。それで困るようなことはなかった。その頃、すっかり共感することが苦手になっているのに気がついた。ついったーに流れてくる言葉は全部他人事のように感じてしまうし、ブログや2chを読んだりしてもそれは同じだった。パソコンの画面から流れてくるものを全部同じようなものとしてとらえているのか、それとも自分から共感する力が失われてしまったのかはわからない。そんなもの最初から無かったかのような気さえする。今は由来のことを考えても仕方がない。感傷がどこかへ飛んでいってしまい、悲しいだとか、寂しいだとか、「しにたい」だとか、そういう気持ちに全く共感できなくなってしまった。それだけのことだ。そんな中、何日か前に「エキストラ・ラウンド」を読んだときの気持ちを思いだした。グッときたのだ。登場人物が自分のようなことを考えている。陳腐だけど重要なことと戦っている。なんだ、全然残っていたじゃないか。こういう気分にまだなれるじゃないか。全然忘れちゃいなかっただろ、感傷的って、こういう気持ちだ。よかったな。思い出せたのだからいつまでもうだうだしていないで、ふとんに入っていい夢でもみたらいいじゃないか。まったく。ナイーブなものなんてありふれているから、またいつかこうした気分になれるだろう。べつにならなくなって問題はない。それにしても、自分の中の共感する気持ちのほとんどが感傷的なものに由来することに気がついて、なんだか少し残念に思う。悪いことじゃないのだろうけど、人と接するときくらいはもうちょっと楽しいものでコミュニケーションをしていきたい。楽しめることがあるのは、すごく運がいいことなのだ。そろそろ眠くなってきたから眠ろう。そしたら起きて、ごはんを食べよう。それがいい。
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