虐殺器官の話
ネタバレがあるので、読んだ人向けの話です。
著:伊藤計劃
最近、人の死によって動かされる物語に興味がある。
伊藤計劃のスピルバーグ評「侵略する死者たち」(伊藤計劃記録に収録)では、近年撮影されたスピルバーグの映画は、みな死者によって動かされる物語であるということが指摘されている。特に「ミュンヘン」は、人間を動かす死者たちのイメージを歴史と結びつけた、死者にまつわるスピルバーグ映画の集大成である、というようなことが書かれている。それから伊藤計劃は、その死者たちのイメージが集積された概念的な空間を「死者の国」もしくは「死者の帝国」と呼んでいる。この、死者に動かされる物語は他にどんなものがあるだろいうかということを考えていた。おそらく、細田守の長編映画なんかがそうだ。登場人物の動機が、死者がいなければ決して成立しない物語。
「虐殺器官」も、そういう話だった。主人公のクラヴィス・シェパード大尉は、軍人としてさまざまな虐殺の現場を目撃してきた。彼の母親は事故で脳に損傷を負い、生きている人間なのか死んでいる人間なのか曖昧な状態にいるなかで、唯一の近親者であるシェパードは母の延命治療を中止する決断を下す。しかしそれは、本当に母のことを思っての決断だったのか、自分の中で重荷だった母から逃げるための行動だったのではないかと、シェパードは悩み続ける。やがてシェパードは、死のイメージに惹かれるようになり、たびたび夢に見る「死者の国」に安らぎを感じるようになる。ちなみに、シェパードが物心つく前に父親は自殺しており、遺書を残さず死んだ父に母は「呪われたのだ」という。
そして、シェパードの追う世界中で起きている虐殺の首謀者と目される男、ジョン・ポールもまた死にとりつかれている。彼の妻子はサラエボで起きた核爆弾によるテロで死亡しており、そのとき彼はプラハで愛人と会っていた。このことが彼の運命を変えるきっかけとなった。ジョン・ポールはテロを起こす恐れのある国家に潜入し、その国で虐殺を引き起こすことでいわゆる先進国、シェパードいわく「ぼくらの世界」にテロの矛先を向けさせないように仕向ける。彼は死を理由に、あらたな死をまきおこし、それにより別の死を防いでいたのだ。ジョン・ポールはそれを「自分が守りたいものを守るため」と言っている。
いっぽう、シェパードは彼を束縛していた母の存在が実は自身の思いこみによってかたち作られていたということを(最新のテクノロジーの力によって)知ることになり、その思いこみに束縛と同時に母の愛を見出していた彼は絶望し、ジョン・ポールの用いた虐殺の文法を利用して、アメリカを死のはびこる混沌の海へと導く。シェパードが自身を律することをとことん妨害し、彼を責任から遠ざけてきたテクノロジーの力が最後に与えたのは、母との断絶だった。もはやシェパードを安心させられるものは、ただひとつしか残されていない。「死者の国」だ。「アメリカ以外のすべての国を救うため」というのはもちろん嘘っぱちで、彼の目的は夢に見た「死者の国」を自身の目の前に顕現させることだった。母親のイメージを包んでいた「死者の国」だけが、最後のよりどころだったのだろう。この物語において死と愛は強力に結びつけられている。
伊藤計劃の作品は、死者の存在が物語のベースになっていることが多い。「ハーモニー」はまず第一に死への抵抗から作られた社会を舞台とした物語だし、未完となった「死者の帝国」は、まさに死者によって動かされる物語だ。おそらく、伊藤計劃はそういった死のイメージに思うところがあったのだろう。人はこの世からいなくなっても、死は遺りつづけ、あらたな人を動かすのだ。
余談だけど、伝奇には人の死によって動かされる物語が多いような気がする。「Fate/stay night」とか、「北神伝奇」とか。死者あってのオカルトだからだろうか。