水月のこと
2002年発売のPC用ゲームソフト「水月」についてです。ネタバレがあります。
こちらのサイトにある考察もあわせて読んでいただければ、なおわかりやすいと思います。
・はじめに
洗練されていた。異様に曲がりくねった、研ぎ澄まされた小刀という印象だ。明らかにその形状は他のものとは違う。それは美少女ゲームというフォーマットが作用しているからだ。そうでなければ、こんな形にすることは絶対にできない。そして、その形を最善のものとするため限界まで研ぎ澄まされているのが伝奇という刃だ。独特の形状を殺すことなく緻密に研がれた刃は、一点の曇りもなく悲しげに輝いている。
そういうゲームだ。
何を書けばいいのかわからなくなってしまった。考察的なことはだいたい上記のサイトに書かれているのでその捕捉みたいなことを書いていくか。
・涙石
物語の土台にはこの石の存在がある。簡単な言い方をすれば、願ったことが現実になる力を宿した石だ。願ったことが起こるのではなく、願ったことが現実そのものになる。最初からそういう世界だった、ということになるのだ。しかし複数の願いにより齟齬を起こしたり、(恐らくその願いに反する認識を持つ者たちの作用によって)完全な現実とならないことがある。
登場する要素のほとんどが歴史と噛み合った伝奇的な設定を持つのに対し、この涙石だけがルーツを持たない。ある意味最もフィクションらしい存在と言える。伝奇的な要素は数多く登場するがそれが中心ではなく、歴史を持たない涙石という存在が物語の中央になっているのだ。
・山の民
元ネタは柳田國男の唱えた説だ。かつて山中で暮らし、独自の文化を持っていた人たちが実在した。そのルーツは日本の先住民族であるというのが柳田國男の考えだった。これがいわゆる「山人」である。しかしこれは「異説」で、実際はそうした歴史はなかったと見られている。柳田も途中で研究をやめているようだ。
作中でも書かれているとおり、山の民が存在すれば大和民族はそれを追いやった侵略者となる。さらに山の民が大和民族よりも古い、別の歴史を持っているということは皇国史観にとって都合が悪い。このように「山人」は伝奇においてアンチ記紀神話的(アンチミステリみたいなニュアンス)な存在として描かれることが多い。
・神社
作中には二つの神社が登場する。宮代神社と大和神社だ。
宮代神社は元は山岳信仰を由来とする神社であったが、戦時中それを隠蔽するために資料が破棄されている。戦後になると山の民の存在をさらに隠すため分社である大和神社が建立される(上記のサイトでは戦時中とされているが、透矢の父の記述によると戦後)。宮代神社の巫女は本社から分社へ神を移すための舞を行うが、本当の目的は違っている。この舞が古来から存在する儀式を改変したのか大和神社が建てられてから作られたものなのかはわからないが、その内容は記紀神話を称えるもので、それによって山の民がルーツである山岳信仰の存在を人々の認識から隠すために存在している。
大和神社が国家神道の盛んな戦時中ではなく戦後に建てられたのは、前述の儀式を行い今まで以上に山の民の存在を隠す必要がでてきたせいだと思われる。なぜなら山の民は虐殺されており、もし発覚すれば戦時中とは別の意味で都合の悪いことになるからだ。
・ナナミ
那波ルートで描かれる、不死の薬を求め日本に海を渡ってやってきたナナミ。元ネタはたぶん、秦の始皇帝に命じられ不死の薬を求めて日本にやってきたとされる徐福という人物だ。ところでこのナナミは透矢が出会うナナミとは似て非なる存在である。恐らく岩屋戸に入ったナナミが涙石と影響し、ナナミという概念だけが不死の薬を手に入れて不死になったという噂やその後に語られる伝説などによって残ってしまったのだ。
・通過儀礼
水月の物語は神話・昔話にしばしば見られる物語と同じ構造をしている。それは「行きて帰りし物語」と呼ばれるスタイルのもので、どこに行くかというと日常と切り離された「異界」や「死者の国」で、そこに行き帰ることは通過儀礼でもある。たとえばイザナギが死したイザナミに会いに死者の国へ行く話なんかが有名だ。このパターンは宮崎アニメでもよく出てくる。
この作品のどこに異界が登場するかは一目瞭然だ。御社の洞窟とその奥にあるマヨイガはまさに死者の国のイメージそのもので、牧野健司も「常世の門」が開いたと言っている。
しかし和泉のルートでは透矢がマヨイガを訪れることはない。そのかわり海が異界の役目を果たす。そこは大和神社の真下で、近くを通った人間を引っ張り込むという自殺の名所だ。さらに古代の墓まで存在するのだから、異界としての役目は十分と言える。
・母
この作品には母のイメージが頻繁に登場する。そしてそれが(半分くらい)死のイメージと近い場所にあるのは、(たぶん)偶然ではない。イザナギは死したイザナミのいる根堅州國(ねのかたすくに)のことを妣国(ははのくに)と呼んだ。民俗学者・折口信夫はこの言葉に「魂のふる郷」のイメージを見出した。
登場人物たちは母・「魂のふる郷」を求めているが、その願いはどれも断念される。なぜならそのイメージは死と同居しており、通過儀礼を達成するにはそこから離れなければならないからだ。
・雪さん
このとてもやわらかそうなメイドさんの物語は、他のルートに比べて明らかに異様だ。
彼女は山の民の生き残りである。前述の通りアンチ記紀神話的な存在なので、帝よりも強力な「魔力」を持っている(ただの言葉遊びだが、琴乃宮という名字は「異の宮」を連想させる)。国が恐れるほど強い歴史の力は、一人の人間を虜にすることなど造作もない。透矢も含めると二人か。他のルートを選ばない限り、彼女は普通の少女ではいられない。いつまでも山の民という業を背負ったままである。彼女と透矢の異類婚姻譚めいた関係は、ついに破綻せず結末を迎える。透矢はマヨイガに行くが、帰らない。人と関わることを諦め、死者の国で雪さんといつまでも幸せに暮らす。彼の欠けた歴史を埋める山の民の少女は死した母の代わりだ。このルートは他のルートに比べて明らかに真っ当な作られ方をしていない。でも、そういう話こそが伝奇らしいと思う。
伝奇はいつでも、影にいるものたちの物語なのだ。