December 17, 2010

東方儚月抄がロマン

ロマンである。どこらへんがロマンかというと、ほぼ全面にわたってロマンである。今回はそんなロマンの中から選りすぐりのロマンポイントを抽出し、ひとつひとつ俺のロマンに照らし合わせて好き勝手に説明していく。


・幻想入りがロマン
東方プロジェクトといったらやはりこれだろう。そもそも幻想という言葉が既にロマンを帯びて輝いている。ではその幻想入りとは何か。簡単に言うと、幻想郷に外部の世界から何かが入ってくることをさす。たぶんそれ以上でも以下でもない。ただ、幻想郷に入ってくるものたちはみな忘れられたものである。忘れられたというよりは、「現実でなくなった」という言い方のほうが適当かもしれない。幻想郷に入ってくるものたちは、幻想郷の外の世界では物語のように語られるだけの存在だ。それらは外の世界で暮らしているわれわれには、直接的な影響を及ぼさない。現代を生きる人たちにとっては過去のものとなってしまった、語られることでしか存在していないものたち。すなわち「幻想」だ。それらを幻想と知っていてなお見つめ続けるということは、ロマンにほかならない。


・永夜抄がロマン
そう、儚月抄の前編にあたる永夜抄がそもそもロマンなのだ。永夜抄は他の作品と比較しても伝奇ロマン度が著しく高い。竹取物語をベースとする敵キャラクターの幻想っぷり、そして歴史の裏に消えた因縁の少女と、それを守る半人半獣の「歴史食い」。興奮のあまり鼻から脳漿が出ても納得できる設定である。特に慧音と妹紅。この二人はかなり熱い。慧音の弾幕が語るのは記紀神話をベースにして成立した朝廷の歴史だ。つまり成立から昭和に至るまでの歴史は幻想入りしているということになる。そして幻想郷には藤原妹紅がいる。彼女は古事記の編纂者(俗説)、藤原不比等(竹取物語でかぐや姫に蓬莱の玉の枝を要求された、車持皇子のモデル)の娘だ。歴史を紡いだ者の娘とその歴史がともに幻想となる。ロマンだぜ。
ちなみに東方プロジェクトでは、妹紅の親父藤原不比等が、蓬莱山輝夜の要求に応じて本物の蓬莱の玉の枝を渡したという設定になっている。東方の世界では竹取物語は真実なのだ。


・魔術がロマン
東方儚月抄に登場する魔術はみな比喩でできている。例えば吸血鬼のロケットがそうだ。幻想郷の面々にしてみれば、宇宙に行くためのロケットは魔術だ。そして魔術ならわざわざ実物のロケットと同じ材料を用意する必要はない。比喩で済ませてしまえばいいのだ。三段のロケットなら、どんな形だろうと三段の見立てになっていれば成立する。赤道から打ち上げるのがよいならば、赤いラインの上で打ち上げれば問題ない。要するに見立てになっていれば魔術は成立するのだ。魔術は形式が重要だとレミリアも言っている。同じシステムは注連縄とフェムトファイバー、月と水月の通り道にも使われている。(ちなみに「とある魔術の禁書目録」の一巻にもこの魔術システムは登場する)。
元ネタはたぶん文化人類学者フレイザーの提唱した「類感呪術」と「感染呪術」だ。前者は人と人形のように、隠喩の関係になるものが呪術の道具として使われ、後者は換喩にあたるもの(その人が身につけていたものや髪の毛など)が道具として使われるのだという。実際にあるオカルトのシステムを応用した幻想郷の魔術、ロマンだぜ。


・キャラクターがロマン
東方プロジェクトのキャラクターにはだいたい元ネタが存在する。たとえば八意永琳の名前は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)という神様から取られている。アマテラスが天の岩戸に隠れたとき、出てこさせるため知恵をしぼったのがこの神様だ。輝夜のブレインっぽい永琳らしい元ネタである。もちろん元ネタが複数あるキャラクターだっている(それがほとんどだ)。鈴仙・優曇華院・イナバなんかがそうだ。彼女の元の名は「レイセン」これは永夜抄のキャラ設定を見れば「冷戦」からきているのがわかる。冷戦の宇宙開発によって侵攻されている月から逃げてきた兎の名が「レイセン」これは間違いなく元ネタだ。それから「靈蟾」という言葉もある。これは月の異名だそうだ。これが元ネタの可能性もある。そして優曇華院の「優曇華」と「イナバ」にももちろん引用元がある。
このように東方プロジェクトのキャラクターは様々な引用で出来ている。彼女たちは色々な要素をつなぎとめるハブでもあるのだ。さらに、それらの引用元を類推し設定を深読みするのも楽しい。ウィキペディアを言葉のリンクからリンクへとたどっていくように、いくらでも関連するものが見えてくるのだ。そういった関連性のあるものからさらなる元ネタを見出していき、考察するのもまたロマンである。


・月がロマン
言うまでもないが、月はロマンそのものだ。その神秘性は宇宙開発が進み、今まで見えなかった裏側が明らかにされても、ましてや人類がそこに足をつけようとも、未だに保たれている。もしかすると、現代で最も強い幻想を持っているのは月かもしれない。月は誰でも知っているし、それにまつわる不思議な話や神話、都市伝説なんかは大量にある。ある意味この世で一番幻想らしい幻想と言っても過言ではない。全幻想トーナメントをやったとしても間違いなくこいつが優勝する。だから月の都市は幻想郷よりも高貴な地として描かれる。しかしそこは欠点のない、どこか淡泊な世界だ。そう、そこにはあまりの神秘性ゆえか、穢れのない場所なのである。海には生き物がなく、虫も存在しない。月はただ平和で、ただ美しい。そういう人間らしさがなく無慈悲なところもまた月のロマンなのだ。


・神がロマン
この作品には神様が登場する。しかも東方風神録の八坂神奈子や洩矢諏訪子のような、元ネタとしてではなく実在(実在と言っていいのか?)の神様として登場するのだ。こいつはすごいぜ。神様たちは幻想郷や月では登場しないが、妹紅の回想シーンではなんと現実世界の富士山に、美しい女性の姿で登場しているのだ。ちなみに俺はこのエピソードがお気に入りだ。東方プロジェクトにしては珍しく、少し残酷なところがいい。不老不死に魅入られて殺人を犯してしまう妹紅が、ある意味とても人間らしい。ちなみにこの妹紅をそそのかしたサクヤビメ、長命のイワナガヒメと対になる短命を司る神様である。もしかしたらその属性のせいか不死の薬が手に負えなかったのかもしれない。
他にも姿は見せないが住吉三神や大国様などの名前が登場する。その「実在の」神様たちがいるのは、幻想郷でないまた別の領域かもしれない。それとも、今回たまたま姿を見せなかっただけで妖怪たちと同じように共存しているのだろうか。まだまだ深く考察する余地はあるぜ。


・宇宙開発がロマン
ロマン、またの名を幻想。しかし宇宙開発は月の民にとっては侵略だった。月という幻想の地に踏み込んでくる人間たちはその神秘性を踏みにじる敵だったに違いない。アポロ計画で唯一、着陸に失敗したアポロ13だけが月の民に妨害されたということで幻想入りとなった。あとは人間側の勝利である。だが、冷戦は終わった。既にアポロ計画は語られるだけの存在、幻想と化した。効力を失ったプロパガンダはお話に過ぎない。そしてアポロ計画のことを記した書籍が幻想入りする。もちろんそれは東方プロジェクトにおける西洋の存在、レミリア・スカーレットのためにある。西洋が再び、月を目指す。何とも言えないロマンがここにはある。そして幻想のロケットは、幻想の空を超え、現実を経由することなく幻想の月へと飛んでいくのである。
余談だが、月にある人類が立てた旗を引っこ抜いたのは人類かもしれない。アポロ計画は偽物で人類は月に行っていないという都市伝説が流行り始めたのはわりと最近のことだ。その都市伝説が幻想入りし、刺さっていた旗が引っこ抜けたのかもしれない(幻想郷の森に落ちていたのだからたぶん紫の仕業だが)。


・生と死がロマン
月の民には穢れがない。穢れとは死のことだ。月の海には生物がいない。そこでは食物連鎖もなければ淘汰もない。月には虫もいない。おそらく肉食の動物なんかも存在しないだろう。それらは穢れ、死を持っているからだ。月の民は死なないわけじゃない。ただそこに死の危険は存在しない。ゆっくりと老衰で迎えるだけのものが死だ。それはもはや死ではない別のものだ。そこにはいつ襲いかかってくるかわからない恐怖としての死は存在しない。争う必要もなければ怯える必要もない月の都に死、穢れはどこにもない。それが月と幻想郷との一線を画す部分だ。
この儚月抄で描かれた第二次月面戦争は誰のために行われたのか。もちろん紫が月の民をぎゃふんと言わせるためだったのだろう。しかし、小説版ではもう一つの目的が描かれている。月から盗んだ酒を紫が永琳に飲ませるシーンがある。永琳は紫がなぜその酒を持っているのかと恐怖する。恐怖、それは穢れのある人間たち、幻想郷の住人たちだけが持ち、月の民には縁のない想像力だ。その恐怖という感情を、幻想郷で人間とともに暮らすことにした永琳に与えたのは、紫なりの歓迎の挨拶だったのかもしれない。
死あってこその生。死と向き合い、それが与える穢れを受け入れること。それが幻想郷の住人の価値観だ。儚月抄の儚は穢れのない月に対し、穢れとともに生き死を受け入れる、儚い人間の住む幻想郷を指しているのかもしれない。


長くなってしまった。何が言いたいのかというと、儚月抄はロマン。それだけです。