January 20, 2012

ガガガ文庫流バランス調整術の話




なにが言いたいのかというと、要するに物語を勧善懲悪、悪い奴(嫌な奴)をやっつけてハッピーエンドという形にしない、という方法をガガガ文庫の何人かの作者が実践しているように見えた、ということだ。理由は作品ごとにあると思うので、それぞれ検討をつけていこうと思う。たぶんネタバレがある。



・うやむやにする

まず最初に登場するのは「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(著:渡航)」だ。友達のいない人間が集まった奉仕部という部活動に所属する主人公とヒロインが、リア充とテニス対決をする。がんばれ友達がいない方、と思うわけだが、結局のところ勝負は何事かあってうやむやになってしまう。友達がいないのだからちょっとぐらいかっこつけさせてやってもいいじゃん、と言いたいところだがそれでは駄目である。なぜ主人公にカッコつけさせず、戦いをうやむやに終わらせたのか。これはこの作品が残念系と呼ばれるジャンルの作品だからに違いない。だから主人公もヒロインも、欠点のあるちょっと残念な性格のキャラクターなのだ。そんなキャラクターが活躍なんてしてしまっては、残念系ではなくなってしまう。そういうことでリア充との戦いはうやむやになったのだろう。これこそが残念系が残念系と呼ばれる由縁なのだ、と思う。



・ん?と思わせる

ご存じ田中ロミオの方法である。「AURA」「灼熱の小早川さん」でこの方法が使われている。AURAにはこいつが悪い!という敵がいるわけではないが、世間様との戦いの話なので、ここで紹介する。簡単に言うと、厨二病のヒロインが厨二病なせいで困った目に遭っているので助けよう、という話だ。どこらへんで、ん?と思わせているのかというと、もちろん最後の一文、最後の一言である。読んでもらえればすぐにわかる。この一文は「厨二のままとかナメたこと言わせねえぞ」という意味ではおそらくない。むしろ「これをやってようやくバランスがとれるんだ」といったところであると思う。厨二を肯定されてよかったね、そんな単純なハッピーエンドでは据わりが悪いと考えたのではないだろうか。

灼熱の小早川さんも同じ方法でハッピーエンドを周到に回避している。こちらはびっくりするくらい無茶なやりかただけど。この話はクラスの同調圧力がひどい方向に向かっていっているので何とかしよう、というあらすじだ。そこで出てくる問題解決の方法が、クラスの空気を悪い方向に持ってく奴をどうにかしよう、ということでどうにかするのだが、これがびっくりするくらい大勝利なのである。ぽかーんとしてる暇もないくらいあっさりとした、しかし完膚無きまでの大勝利なのだ。それこそ武勇伝じゃないか、という話だが、要するにウソ臭い。それまでのじわじわ来るような展開に対して、終盤でのいきなりの大勝利は過剰すぎるのだ。しかし、あのAURAの田中ロミオである。CROSS†CHANNELのあのラストを書いた田中ロミオである。わざとに決まっている。たぶんこの人は物語のバランスを重視して執筆している。ハッピーエンドでもバッドエンドでもないラストを目指している。それがどこからくるのか、ご都合主義に見えてしまうことを拒否しているのか、誠実であろうとしているのか、俺にはまだ決めつけることはできない。



・痛い目にあわせる

また「ペイルライダー(著:江波光則)」の話である。これが一番手っ取り早い方法と思われるが、完全に回避できているかというとちょっと怪しい。どういう方法かというと、主人公が痛い目にあっていれば完全にハッピーエンドとは言えないだろう、という手法。化物語なんかもこんな感じである。ペイルライダーの場合は脚一本。フィクションなのでこの代償が安いと思うか高いと思うかは人によるだろう。


ここで話は脱線する。ペイルライダーが面白かったので同じ著者の「ストレンジボイス」と「パニッシュメント」も読んだのだ。特にパニッシュメントのほうは上手く主人公を痛い目に遭わせていて面白かった(もちろん理由はそれだけじゃない)。それからちょっとバランス感覚が変わっているなと思った。

ライトノベルにしては珍しいなと思ったのは、顔面のクオリティに関する描写があるところだ。ライトノベルは一番顔の美醜から遠いジャンルだと思っていたから驚いた。こういうのもたまにはいい。

そして、一番変わってるなと思ったのは躊躇無く女の子を辱めるところだ。ラノベでこんなことやるのかとかなり驚いた。いや、ペイルライダーのときはバイオレンスな作風だしこういうものかと思ったんだけど、パニッシュメントのあれは、なんというか躊躇いがない。話を面白くするちょっとした小ネタくらいの感じでねじ込んでくるのだから、びっくりした。だって、エロゲ書いてたロミオ先生だってせいぜい小早川さんの頭にコンドーム風船を乗っけたり、ちょっと脱いだ写真をネットに上げて大変だと思わせたりと(大変だけど)、それくらいだというのに、この躊躇いのなさはびびる。ここまであっさりと、重大でもなければ矮小でもなく、ぽんとやっているのをラノベで読むのは初めてだ。このバランス感覚はすごいと思う。

それからあと弱者な。また田中ロミオとの比較になるけど、ロミオ先生は弱者をちゃんと描く。灼熱の小早川さんでは、クラスの暴力的な空気に小早川さんが立ち向かう。しかし小早川さんは弱者ではない。弱者はただ虐げられ、そして消えていく。それを田中ロミオはわかっている。だからそういうキャラクターをしっかりと配置する。立ち向かい、勝利してしまえばそれはもはや弱者ではない。だから弱者を弱者として描くには、何もできずただ虐げられ消えてしまうキャラクターを描くしかない。弱者をちゃんと描くということは、これもまたバランスの問題だ。小早川さんの過剰な勝利でハッピーエンドでもバッドエンドでもなくなった。だけど、それでもまだ、クラスが元に戻ってよかったね、なんて話にはしない。だって弱者は弱者として、そこからいなくなっているのだから。その二つの要素がこの物語のバランスを調整している。ハッピーエンドでもバッドエンドでもなく。この微妙な「含み」が田中ロミオの持ち味だと思うのです。

で、江波光則はというと、弱者をさらにいじめる。これでもかって目に遭わせる。ここが江波光則の持ち味だと思う。どうせ弱者なんだ、一発ぐらい盛大に、派手にやられてみろや。こうくる。ある意味バランスが取れているのではないだろうか。こういうのもけっこういい。次はどう来るのか、新刊が楽しみだ。


結局脱線したまま終わったけど、書きたいことを好きに書いたので満足。


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